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『フルメタル・パニック! せまるニック・オブ・タイム』 - 賀東招二 [小説]


せまるニック・オブ・タイム (富士見ファンタジア文庫 92-20 フルメタル・パニック)

せまるニック・オブ・タイム (富士見ファンタジア文庫 92-20 フルメタル・パニック)

  • 作者: 賀東 招二
  • 出版社/メーカー: 富士見書房
  • 発売日: 2008/02/20
  • メディア: 文庫



(あらすじ)
ミスリル残存勢力と合流し、レーバテインを手にいれた宗介。
世界各地で繰り広げられるミスリルとアマルガムの攻防
そんな中、テッサは宗介を伴ってロシアの地図から消えた町を訪れる。
そこは、すべての始まりの町だった。
同じ頃レナードもまたかなめを連れて向かう。
3人のウィスパードによって、とうとうその秘密があかされる。



風呂敷(ふろしき)は物を包み持ち運んだり収納したりする為の正方形に近い形の布。 四隅をあわせ、中央を持ち上げるように畳むとうまく畳めます。
っと、これは風呂敷の畳み方でしたw

思えば、『メイク・マイ・デイ』のあとがきで、
07年度の上半期中に、もう一冊お届けできたらなー
と予告まがいのことをお書きになったガトーせんせー
あぁ、6月くらいから毎月角川のHPに足を運んで、「来月の新刊」 コーナーを見に行っていたことなんて
もう、そりゃどうでもいいことです。w
半年くらいの遅れ、「へ」じゃないですよ~
某、主上や、今年はもうでないのかなぁ・・・・某パルス王の話やら、発売直前に延期になってかれこれ1年っすか?どうなってんだ?
某、未来人と超能力者と宇宙人が出てくる話に比べれば(あははは~~)

では、復帰第一弾(?)おなじみフルメタルパニック!レビューいってみます。
ネタバレになりますので、追記機能(こんなのができてら)を使います。
ネタバレOKの方はお進みください♪

ネタバレOK


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丕緒の鳥 十二国記 (yomyom vol.6)より -小野不由美 [小説]

小説なのか、雑誌なのか考えることしばし・・・
って、このネタはもういいですねww
すいません、調子にのりました。

新潮から発刊されている(たぶん)季刊誌 yomyom に小野主上の短編が載ってます。
十二国記の名を冠した短編なので、十二国記ファンはちょっと騒然としています。
なに?主上、とうとう書く気になってくれたのかっ!!!

思えば、角の折れた麒麟と腕を切り落とされた将軍が夜明けにこっそりと旅立っていったきり
なんの音沙汰もなく。
待っても、待っても続きを書いてくれない作者に
後は、自分たちで想像(創造)するしかなくて、いろんな二次サイトやら同人やらめぐってる間に
一部では死んじゃったんじゃねーの?と噂されている戴王がどっかに監禁されている話を読んだ気がするのは
幻だったのか、現実だったのか分からなくなってる次第ですw

その重い腰をちょっとだけ主上があげたってもんで、われわれ草民は叩頭して待ってたんです。

ちなみに、yomyom の存在を出遅れて知った私は、何軒の本屋で
「売り切れです」
といわれたでしょーか?w

2月末の発売ですが、すでに品薄です。
お求めの方は早くしたほうがいいと思います。
(アマゾンは既に品切れ・・・orz)


yom yom (ヨムヨム) 2008年 03月号 [雑誌]

yom yom (ヨムヨム) 2008年 03月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/02/27
  • メディア: 雑誌



さてさて。
読みました。
どこまでレビューしていいですか?
正直、これが単行本になる日は来ない気がします。
戴国の話の決着がついて、空きページの最後に詰められて?
・・・・ないな。ww

でも、さすがにネタバレはまずいので
内容には触れずさらっといってみたいと思います。

その山は天地を貫く一本の柱だった。
限りなく直角に近い角度で聳える峰は、穂先を上に立てた筆のよう、その筆がぎっしりと束ねられて巨大な山塊を形作る。
(中略)
-世界東国、慶国の首都となる堯天である。
                           (新潮 yomyom vol.6 丕緒の鳥より抜粋)

のっけから、醸しだしてますね~
十二国の世界に戻ってきたんだなぁと感じる書き出しです。

お話は、慶国の下級官。 祝の席で執り行われる射儀という儀式に使う作り物の鳥、陶鵲(とうけい)を作る羅氏の丕緒(ひしょ)という人が主人公です。
相変わらず、漢字むずかしっ。
どれが名前か役職名がわっかんないですね。
丕緒は仙籍にはいってますから、陽子から数えて4代前の王の時代から羅氏として仕えています。
彼の目を通して、陽子が登極するまでの慶国の様子が語られます。
時間軸的には、月の影影の海の後、新王陽子の登極を知らされてから、回想をはさんで、射儀を執り行うまでの間です。

も、内容はこの辺にしときますね。

内容には触れないようにっと。
久しぶりに触れた十二国。
あ、へぇ・・・なんで下級官吏なんかとりあげたんだろ?
っていうのが第一印象でした。

十二国といえば、王と麒麟、そして出てきても高官までで、それが十二もあるんだからそれで世界観が完結されていてもなんら不思議な感じはしなかったんですよね。
国と麒麟にまつわる奉山。
国が荒れるとでてくる妖魔。
そんな不思議ワールドが最大の魅力なわけですから、
あえて、人間くさい部分。
例えば、庶民の生活だとか、下級官吏に目を向ける必要を感じなかったんです。
とたんに泥くさくなっちゃうでしょ?

比べるとダメかもしれないけど、彩雲国物語を読んだ時の第一印象が
(あ、この作者、絶対十二国好きだ)
だったんです。

この人(雪乃先生)は描かれるこのとない十二国の世界に生きている市井の人たちや、王のまわりにいる官吏に興味や関心があったんだろうなぁ・・・。
荒れてる国からはじまりますしね。
いいとこに目つけたなぁって思いましたよ。
そこを膨らませていくことで、どんどんいい味が出てきたと思うんですよ。

この泥くさい部分はま、彩雲国に任せて(?)小野主上は高御座から傲然と眺めててもよかったんですけどね。
なんか、降りてきちゃいました。

読みながら、どっかで神経を尖らせながら探っていたのは
(主上、書く気になったのか?)
ってことでした。
なんで、今。短編なんだろう??

ピリピリにアンテナはって読んだんですけど、
読み終わっても、わっかんないです。
書いてくれるンですかね?
気まぐれに一作書いたにしては、何故に十二国?だし
(単に、ファンや編集からの強い要望に流されただけだったりして)
反対に、十二国を全くもう書く気がないなら、短編であったとしても書くべきではないと思います。

よーは。

書けるなら、さっさと書け!
もう書けないなら、ちみっとも書くなよぉ!!

↑これって、十二国を読み終えた6年前となんら変わってないんですw
ホント、そろそろ。
書いてくれないかなぁ・・・

yomyom を読まれたファンのみなさん。
ここで、初めて6年半ぶりの短編がでた知ったファンのみなさん。
主上は書く気になってくれたんですかね??
どう思いますか?





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『フルメタル・パニック!つどうメイク・マイ・デイ』 - 賀東招ニ [小説]

つどうメイク・マイ・デイ

つどうメイク・マイ・デイ

  • 作者: 賀東 招二
  • 出版社/メーカー: 富士見書房
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 文庫


(あらすじ)
瀕死の重傷を負った宗介だったが、一命をとり止めた。
ようやく意識を取り戻した宗介の元に、アマルガムの刺客が送り込まれる。
一方、テッサも罠を張り、アマルガムの兄であるレナードを捕らえようとしている。
メキシコの屋敷に軟禁されているかなめ
宗介は、協力者を得、かなめの救出に向かう。
そして、奇しくも宗介と同時期に作戦を開始した デ・ダナンは、宗介との再会を果たす。


待ってました!!
お帰りなさいっ!!

思えば、『フルメタル・パニック!! つづくオン・マイ・オウン』で、全てを壊したガトー氏。
今回のサブタイの『つどう-』を見ただけで、あれから2冊目で勢いの針が再び「ミスリル」側に傾き始めることは想像に易かったと思います。
(そうでしょ?みなさん!)

危篤状態に陥ってた宗介が、意識を取り戻してすぐに医療用酸素で爆発を起こして難を逃れたとき、
(こいつは、人間じゃねー)
と思ったことも。
orz から回復するかなめが大サービスの下着姿(プールから上がったときはパンツ半脱げ)で登場したことも。
あまつさえ、美形&影アリで大人気のテッサ兄が今度は重症を負ったことも。
全てっ。
どーでもいいですっ!!

彼が戻ってきてくれたからっ!!

っと、一人ハイテンション&いきなり爆撃で始めてしまった感想w
落ち着け。落ち着け~ジブン。
深呼吸、3回。

はい。失礼しましたw
オープン回線 129.22mhzに戻してお届けしたいと思います。

プロローグ、誰かが「彼」を呼び出している。
-こんにちは、アル。探したわよ。
「彼」は答える。
-状況を説明しろ

テッサが抜け殻のようになって、サンフランシスコの病院に収容されている。
瓦解したミスリルの「元部下」たちに裏切られ、捨てられたのだと、心療内科医師に説明する。
あきらかに胡散臭い。
この巻の発刊を待ち望んでいた「フルメタファン」を侮ってもらっちゃ困りますぜ、せんせー(フフフ)
医師はだませても、読者はだませません。
案の定、テッサは作戦の囮で、狙いは・・・。
兄でもある レナード・テスタロッサ。
ミスリルを壊滅に追い込んだアマルガムの幹部だった。

一方、九死に一生を得た宗介は、どこかの病院のベットで意識を取り戻す。
内臓のあちこちに負傷を負った宗介は56日間も意識がなかったのだ。
救ってくれたのはフランス人のエージェント、ミシェル・レモンだった。
彼の所属する機関DGSEも欲しがっていた。
ソウスケ・サガラが持つ、アマルガムの、そしてミスリルに関する情報を。
宗介の快方を待って尋問しようと考えていた上層部に不信を抱いたその日。
立ち上がることもままならない宗介をアマルガム部隊が強襲する。

って、宗介タフだねぇ・・・。
意識取り戻したばっかりで、手足さえもろくに動かないのに、酸素爆発させますか?
しかも、防いだのは水でぬらしたシーツ一枚?
ある意味、人間じゃないよ。
あ、そうか。
人間だと思うからびっくりこくんだ。
あれは、新種のASだと思うことにしようw
って、それじゃキャラかわってんじゃん!
ちなみに、宗介がなんでこんな重症を負っているのかすっかり忘れちゃっている(たぶん、前巻末、「あぁ、死なない、死なない」ってスルーしたんだろな。)自分もどーかと思いましたw

動き出した、デ・ダナン。
体力の回復に努める宗介のものに、ひとつの情報が寄せられる。
メキシコの目立たない邸宅をアマルガムがアジトとして使用しているらしいことを、NASAの衛星をハッキングして突き止めたのだ。
(千鳥はここにいる)
データではなく、宗介のカンがそう告げていた。
同じ情報をデ・ダナンのメインAI〈ダーナ〉もキャッチしていた。
ベクトルは交わった。
かなめのいるメキシコで。

アマルガムに捕らわれてから、無為の時間を過ごしてきたかなめちゃん。
盗みぎぎした「彼」の一言で、徐々に覚醒し始めます。
思えば、デイ・バイ・デイで、宗介もいったん壊れ、死んだと思ったかなめちゃんの登場にインプリンティングされて、自分を取り戻してました。
なんですか?
ここのキャラは、経験や想いを積み上げて成長していくのではなく、
一回壊す→刷り込む
のパターンを踏襲するんですねw

強い女の子は好きです。
今回、テッサもぎりぎりのとろこで踏み留まりつつ、ふぁっきん、ふぁっきん
言ってます。
英語が堪能ではないので、恐ろしい違和感に苛まれずにすみましたが、
かなめちゃんが、レナードにぶつけた、キモイ、キモイには笑いました。
やっぱ、こーでなくっちゃね。

すぐ側まで助けにきている宗介に駆け寄ることができないかなめちゃん。
毎回出てくる、かなめちゃんの「弱さ」の部分です。
「強さ」と「弱さ」を合わせ持っていてこそ、千鳥かなめ なんですが、
今回は、レナードを傷つけてしまうことになりました。
頭部破損。(や、彼はASじゃなかったな)
ボスウィスパードである彼、アタマを負傷しちゃってどうなるんでしょう?
・・・・・初号機、暴走?それとも、性格丸くなってたりしてw

いずれにせよ、かなめちゃんはこれでレナードを見捨てることは出来なくなりました。
トラウマもしっかり見せてもらってるしね。
彼女なら・・・・。
レナードも一緒に生きる路を探すんだろうな。

もう一歩でかなめに追いつけず、退路を絶たれてしまった宗介。
決死の覚悟で、レモン達が加勢する。
そして、ヘリのカーゴから滑り落ちてきたものは。

『お久しぶりです、軍曹殿』

帰ってきた~!!
アルぅぅ~~(号泣)
(注:どんなにパワーアップしてもワタシはAS萌えではありません。あくまであのおしゃべりで、お調子者のAIが好きなんです)

搭乗直後から、相方を得て半年のブランクを感じさせない漫才っぷり。

「いいだろう。3分で片付ける」
『3分は無理です。4分12秒くらいかと』

「で、もちろん使えるんだろうな!?」
《ラムダド・ライバですか?》
「そうだ!」
《さあ・・・・》
(がくっ)
パワーアップしたのは、機体だけではなかったようです。
この二人、間違いなく会話で金とれます。

なんか、新しい武器が身体のあちこちから出てくる新しいASのボディ。
隠し腕なんてのもあったりして。
アルと宗介の二人羽織攻撃っww

5分52秒の戦闘を終了したとき、オープン回線で彼女が宗介に呼びかけてきた。

『もう・・・・あたしを追うのはやめて』
「まってくれ、千鳥。俺は・・・・」
絶望感で目の前が真っ暗になる宗介。
だが。

『やっぱり、やだ』
『そんなの、絶対やだ』

絶妙のタイミングです。
こいつぅ~やるなぁ・・・。
男心手の平の上で転がしてやがるよw
初心な宗介が、これで落ちないわけがない。
まんまとあの宗介から「愛してる」なんてセリフまで引き出します。

新しいASも手に入れた宗介。
デ・ダナンとの合流も果たしました。
さぁ。
エンジン全開ですっ!
ミスリル一党の逆襲のノロシはあがりました。

いい感じで終わったこの巻。
月刊ドラゴンマガジンでの連載も終了して、今後は書き下ろしになっていくとか。

07年度の上半期中に、もう一冊お届けできたらなーっと。

やった!流石、賀東先生!!
『賀東せんせー、大好きだよ☆』

蛇足:書き物がたまっていて、違うものを一生懸命考えてたんですが、疲れた息抜きにちょろっとページを開いてしまったために、それから3時間、読破するまで、ぴくりとも動きませんでした。
しまった。やっちゃったよ。
でもって、読み終わった興奮のそのままでブログ書き始めちゃって。
こーゆー勢いで書いた文って、後で読んだら、恥ずかしくなるんだよね。
しまった。やちゃったよ・・・・(汗)


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『精霊の守り人』とアニメ「精霊の守り人」 -上橋菜穂子 [小説]

4月からNHKBS1でアニメが放送されます。
今からとても楽しみにしていますw

以前から気になっていた作品ではあったのですが、(たぶん、昨年放送されたNHK-ラジオドラマくらいから?)
こってこての児童書ファンタジーということもあって、なかなか手が伸びませんでした。
しかし、アニメ化を知り毎回のパターンで、先に原作を読みました。

先行放送の1話を見ましたので、少しアニメよりの感想になるかもしれません。

アニメを楽しみにされている方もいらっしゃると思いますので、どこまでネタばれするか迷いますが、知りたくない方は飛ばすか、読むのやめてくださいねw 

『精霊の守り人』は、“守り人シリーズ”として、10冊くらい出ている人気のファンタジーシリーズです。
3巻目の『夢の守り人』まで読みました。

主人公のバルサは、皇族が事故でつり橋から落ちたと知り、通りがかった行きがかり上助けることになります。
助けた子供は、新ヨゴ皇国の第二皇子でした。
バルサは、短槍使いの腕利きの女用心棒でした。
王子を助けた礼にと招かれた二ノ宮で、厄介ごとを背負い込むことになります。
助けた第二皇子のチャグムは父である帝に命を狙われているので、バルサに連れて逃げて欲しいとチャグムの母である二ノ妃に告げられます。
帝に命を狙われている以上、皇子の身分を捨て、市井に紛れてただの「チャグム」として生きるしかないと。

命を狙われる原因となったのは、毎夜起きるチャグムの異変でした。
眠っているチャグムの身体が、青く光り、
「帰りたい」と繰り返す皇子を、新ヨゴ皇国で、絶大な権力を持つ星読み博士は皇子の身体にはこの世のものではない何かが取り憑き、皇子はさなぎのような役目をしているというのです。
新ヨゴ皇国は、皇族は神の子孫であり、神そのものでもあります。
その神が「この世のものでないもの」に取り憑かれるなどということは、あってはならないことであり、帝の権威を、そして国の安寧を守るために、「取り憑かれた皇子」は存在してはならないのです。

バルサは、帝の追っ手から、そしてチャグムの中に宿ったものを狙う「なにか」から、チャグムを守り、逃げることになります。

と、いうのがサワリの部分です。
アニメ1話もこのあたりまででしたので、ここいらまでは、ネタバレOKってことでw

アニメの絵に感化されて、中国風な話しなのかと思っていましたが、新ヨゴが半島にあるとされているところから、朝鮮に近いのかな?などと考えもしました。
しかし、話が進み、問題のチャグムに取り憑いた「何か」が分かるにしたがって、眼に見える世サグと見えない世ナユグという世界が重なってこの世は形成されているとう考え方、水の守り手「ニュン・ガロ・イム」の卵を産み落とされたチャグムは精霊の守り人「ニュン・ガロ・チャガ」なのだという設定などは、アメリカ大陸原住民のインディアンや、オーストラリアの原住民アボリジニを感じたのは自分だけではないと思います。

作者である上橋菜穂子氏は、民俗学の学者であることは有名ですので、彼女の思考背景にアボリジニがあったとしても不思議ではないですね。

主人公が女としてはだーいぶトウがたって、いろんな曲がり角も過ぎた30歳のおばさんであること。
30歳→おばさん なのに、めっぽう強い短槍つかいで、女だてらに用心棒なんて仕事をしていること。
子供を持たない彼女が、ちょうど自分の子供と同じ位の年齢の、しかも「元皇子」なんてやっかいを引き受けることから、
(あぁ、この土台ならきっと豪華な屋敷を建てることができるだろうなぁ・・・)
と想像できます。
基礎工事のしっかりした作品です。はい。

まず、アニメを見た感想から。
きれーなアニメですねぇ。背景の美しさに、ちょっとどきどきしました。
チャグムが川に落ちたシーンは、一緒に見ていた娘が
「川が眼に痛い」
と言っていました。
バルサが30と言われればそう見えるし、25と言われればそうも見える。
確かに、30歳って外見はそーゆー年齢なのかもしれません。
強いねーさんは好きです。ほのかな色っぽさも尚よし。

チャグムは、原作の挿絵ではみずらを結っているように描かれていますが、左右の横髪を長く伸ばして、すそをダンゴに結んだ独特の可愛い髪形です。
こっちのほうが好き♪

ですが、OPを見ているかぎりで、近い将来、チャグム、あの髪をばっさり切られて、小汚い男の子に成り下がってました。
えぇ~~!!
アリかぁ?!
チャグムというキャラの魅力の一つは、「元皇子」であった品のよさでもあります。
そして、その負った使命が、水の守り手の卵を孵すために選ばれた、「精霊の守り人」なんです。

髪の毛切んなくてもいいじゃん!

個人的に、もっと違うバージョンの、可愛いチャグムを見たかった私としては軽いショックです TT

反対にタンダは、イイ感じのお兄ぃさんに仕上がってます。
もともと原作でも、包容力のある優しさの権化みたいなキャラですが、
垂れ目気味の目元と、頭の良さそうなセンターわけ。
あぁ、これがタンダなんだ。
ちょっと結婚したくなるタイプです。あたし的にw

動き出したバルサ・チャグム・タンダを見ていて、彼らがどんな物語を紡いでくれるのか、楽しみになります。
精霊の-だけで、26話はちょっときついんじゃないか?と思ったんですが、オリジナルエピソードも加えての構成。
アニメはアニメならでわの「精霊の守り人」が作り上げられていくことを期待しましょう。

この世には不思議な世界があって、自分たちが生きている世と時に重なりあい、また離れ、どちらもが影響しあっている。
原作は、どちらかというと世界観を大切に書かれていると思います。

サグとナユグ。
原住民であるヤクーと、ヤクーの伝承を受け入れることはできない新ヨゴの皇家。
ヤクーの呪術師トロガイと、新ヨゴに使える星し読み博士。
それらたくさんの対比の狭間に落ちてしまったチャグムとバルサ。

アニメは、人と人とのつながりに重きをおいて描かれていくような気がします。
フィールドで自分たちにできる精一杯で生きるキャラクター達に焦点を絞ったカメラで追っかけるように。

原作は、児童文学なのでひらがなが多いですし、最初ちょっと説明がまったりしていて、慣れるまで読みにくかったですが、アニメで興味を覚えた方は手にとってみられてはいかがでしょうか?
私も、シリーズは一応順次読んでいくつもりです。

(蛇足)私が図書館で借りてきた『精霊の守り人』を見て。
「その本、知ってる。学校の図書館にあったよ」
目立つ装丁なんで、印象に残ったんでしょう。
つーか、読めよ。子供達w
誰も借りてなかったそうです。これは、大人のためじゃなく、あんたらのために書かれた本なんだからさ~!


守り人&旅人 スペシャルページ:『精霊の守り人』を読んでみようかと考えている方へ(偕成社)

精霊の守り人 オフィシャルサイト


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『空色勾玉』 -荻原規子 [小説]

空色勾玉

空色勾玉

  • 作者: 荻原 規子
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2005/09/21
  • メディア: 新書


(あらすじ)
妻問いの祭、嬥歌(かがい)の夜。狭也は自分が闇の一族の巫女だと知る。
闇の巫女、水の乙女は大蛇(おろち)の剣の鎮める唯一の存在だ。
乞われるがまま、輝の宮で月代王(つきしろのおおきみ)の采女(うぬめ)になる。
まほろばの宮で狭也は剣に導かれ、大蛇の剣を祭る稚羽矢(ちはや)と出会う。


勾玉三部作シリーズの第1作目だそうです。
なんと、これがデビュー作?!
ものすごくマニアックなものをデビュー作にもってきたもんだと驚きました。

物語は、二柱の神が天と地を二つに分けられた頃。
豊葦原は、輝(かぐ)の御子、照日王(てるひのおおきみ)と月代王(つきしろのおおきみ)という双子の神が治めていた。

・・・・と、いうと。
ははぁ~ん。
分かる人にはすぐ分かりますね。
そうです。
この物語は、古事記をファンタジーにしたて直したものです。
イザナキが亡くなったイザナミを追って黄泉の国に下り、変わり果てた姿に恐れをなして逃げ帰る。
黄泉の穢れを祓うために禊を行った左の目から生まれたのがアマテラス。
右の目から生まれたのがツクヨミです。

狭也は、輝(かぐ)の村に拾われ育ちました。輝の軍勢です
嬥歌の夜に、祭りの楽団としてやってきた闇(くら)の一族から、自分は闇の姫巫女なのだと聞かされます。
輝にも闇にも手に負えない大蛇(オロチ)を剣に封じ、その剣を鎮めるこのとできる唯一の存在、水の乙女なのだと。
現在、剣は輝側にあり、水の乙女は闇側から出る。
だが、どの水の乙女闇側でありながら、輝の光に憧れ滅びてきました。

輝の軍は光。
つまりイザナキ側です。
闇の軍は闇、ひいては黄泉。
つまりイザナミ側です。
長い間、両陣営は戦をしていました。
輝の御子は、死ぬことがありません。(御子以外は死にます)
闇の一族は、死んで再び生まれ変わる。
つまり、両者とも「死」はないのです。

・・・というのが、この勾玉の世界観です。


と、ここでお断りを。
私自身、数ある日本文学作品の中で、『古事記』が一等好きです。
あのはちゃめちゃで、何でもアリの世界に激しくココロ惹かれるわけです。

古代史にロマンは感じませんが、これを国の歴史だと言い切る懐の深さには
感動すら覚えます。

『古事記』をファンタジーといわず、何をファンタジーという!!w

ですので、残念ながらこの作品を単に古代日本を舞台にしたファンタジー作品として読むことはできませんでした。
そうするには、手垢で汚れてしまっているのです。
そんな風に、全て『古事記』と対比させて読むなんてちっともこの作品のよさが分かってない!
と、ごもっともな意見もあるかと思いますが、出来ませんでしたので御寛恕ください。

さて、余談はこれくらいにして世界に戻ることにしましょう。
闇の手を拒否した狭也の前に現れたのは、月光のごとき美しい御子でした。
月代王。
それは、狭也が憧れ、夢にみた輝くばかりの輝の御子でした。
月代王は、狭也を豊葦原の中心地、まほろばの宮で自分の采女になれと唆します。
輝側は、水の乙女の存在も、そればかりか狭也が先の水の乙女狭由良姫の生まれ変わりであることも承知していました。

水の乙女とは何なのか。
狭由良姫とは一体誰なのか。
自分は何のためにここにいるのかも分からず、ただ月代王にあこがれるまま宮で過ごすのですが、大蛇の剣を盗みに入った闇の一族、鳥彦が大晦の祓のため、形代に捕らわれてしまいます。
儀式が始まれば、鳥彦は生きながら焼かれてしまう。
捕らえられた鳥彦を助けるべく、照日王の宮へ忍び込んだ狭也は、厳重に守られた神殿の中で一人の巫女と出会います。

剣を守る巫女。
それは、狭也が幼い頃から繰り返し見た夢の巫女でした。
巫女は、綱で繋がれたまま大蛇の剣を守っていました。
巫女の名は、稚羽矢(ちはや)。
美しい、気品に満ちた少女でした。

・・・・って。
これは・・・もしや・・・
スサノオですかぃ!!!
びっくりして腰が抜けそうになりましたよ。
タケハヤスサノオノミコト。
三貴子の末の弟です。

スサノオといえば、ぼさぼさの髭。母であるイザナミの国へ行くのだと駄々をこねて泣き、
姉のアマテラスが治める高天の原では大暴れ。
オロチ退治の話は有名ですが、その後クシナダヒメを得て地上にとどまってなお、大国主がスサノオの娘、スセリビメを嫁に欲しいとやってくると、昔の腕白小僧よろしく大暴れに暴れ、何度もむごいやり方で大国主を殺そうとします。
粗野でわがまま、残忍なごっついおっさんのイメージが強かったスサノオが・・・
少女と見まごうばかりの美少年ですかぁ!!!
これにはのけぞるほど驚きました。
こんなスサノオ・・・は、初めて見たよ。

狭也は稚羽矢と剣を解き放った。
今度は、月代王に、輝に敵対するものとして稚羽矢を連れて闇の氏族との合流を果たします。
自由になった稚羽矢。

・・・・・これが、かぁいいんですよ。
バンビっぽくて。
輝の御子には、人間界の常識なんてありません。
神様なんですから。
狭也が誤解から稚羽矢を傷つけてしまったと、行方不明の稚羽矢を探します。

「なぜ探しにきた」
「謝ろうと思って」と、狭也
「あやまるって、何をすることだ」稚羽矢は不思議そうに問い返します。
「とても悪いことをしたと思っている しなければどんなに良かったか思っていると相手に言うことがあやまることよ。そして、この気持ちに免じて、罰せずに、怒りをといてほしいと頼むこと・・・」

自分は神とも豊葦原の人々とも相容れない異形だと稚羽矢はうつむいて言います。

「あやまるのだったら、怒ったり罰したいと思っている者のところに行けばいい。だれかは知らないが、それはわたしじゃない。誰がいったい、狭也のことをそんな風におもっているんだ?」

かわいすぎです。
「もぉ♪」くちゃくちゃってしたくなりませんか?ww


大蛇の剣を使い戦ううちに、稚羽矢は剣を祀るものではなく、剣の中の大蛇を取り込んで同化します。
水の乙女は剣の大蛇を鎮めるものではなく、稚羽矢の閉ざされた関を開き、押し流し、導くものだったのです。
最終決戦で、照日王に捕らえられ、手にかけられてしまった狭也を稚羽矢は水の乙女の勾玉を飲み込んで黄泉の国まで追いかけてきます。
結ばれた絆は決して解けることはなく、狭也を取り戻した稚羽矢は降臨した父神に願い出ます。

「わたしは、死を賜りたいと思います。できることならば、豊葦原の人々と同じように生き、同じように年老い、死んで女神のもとで憩うことのお許しを」
強く、美しく、そして誰より愛らしい稚羽矢。
輝の御子が去った豊葦原を稚羽矢と狭也の二人が治め、新しいに王になれと沸き立つ人々。
稚羽矢は笑いながら聞く。
「ところで、はじめて聞くが、祝言とは何のことだろう」
この稚羽矢のセリフで物語りは幕を閉じましたww


きらびやかで絢爛豪華な王朝絵巻も嫌いではありません。
ですが、この素朴で暖かい古事記の世界観に懐かしさと愛おしさで胸がいっぱいになります。
(もちろん、稚羽矢が可愛かったのもありますがw)
自分はこの世界に生きていたのではないかと既視感を覚えるのです。

古代、人は闇を恐れてはいなかった。
現代の私たちもキャンドルの火をみていると、なんとなく落ち着きます。

ふと思うのです。
私は光ではなく、揺れる炎に柔らかく押し返されるやさしい闇に癒されている
のではないのかと。

闇はいつもすぐ隣にあり、豊葦原に生きる人々を分け目なく包み込んでいた。
決して抑えつけない柔らかく、甘い闇。

いずれは、黄泉の国で闇の女神に憩うことを許された豊葦原の氏族に生まれてよかった。
そう思える一作です。

(蛇足) 私が『古事記』に最初に惹かれた理由は、ツクヨミノミコトの存在でした。冒頭ともいえる三貴子誕生のわずか数行にしか登場しないこの神のことを、何故私たち日本人は忘れず敬っているんだろう。月読と書けば今でもツクヨミと読ませます。
ずっと想像していた神を想像どおりにとても美しく甦らせてくれた作者に感謝を!


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『グレート・ギャツビー』 -スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳 [小説]

グレート・ギャツビー

グレート・ギャツビー

  • 作者: 村上春樹, スコット フィッツジェラルド
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 単行本

「僕は60歳になったら『グレートギャツビー』の翻訳を始める」
こう公言し、また訳者が人生で巡り会った最も大切な小説を
「村上春樹だから」
と、手に取った方が多いのではないかと思います。
はい。
斯くいう私もその一人でございます。
 
村上春樹 という作家。
実は自分にとって鬼門なんです。
最大の難関、そして憧れ。
以前、 『羊をめぐる冒険』 の記事でも書いたとおり、読めば読むほど分からなくなるってゆーか。
少し近づけたかと思って、意気揚々と次の扉を開けると、そこは絶対長い廊下だろうと想像していたのに、当然高い塔のてっぺんに連れてこられてて、敢え無く落下するしかない。
そういう作家なんです。(何がいいたいのか全く分かりませんねw)

ドアの向こうに羊博士が登場した瞬間。
部屋の石がしゃべりだした瞬間。
幾度となく取り残された感覚を味わったことか。
よーは。
わからないんですよw  
自分の理解の範疇を超えていってる。
同じようにぐるぐると歪むような世界を展開するものでも、村上龍はまだ分かる。理解できる。
もし、村上春樹が しっくりと落ちてきた 瞬間を味わうことができたら・・・。
今までの文学に対する世界観が変わるんじゃないか?
と、思えるほど村上春樹文学は、私に憧憬の念を抱かせるのです。
 
この本の紹介広告を見たとき、
「これだ!」
と、思いました。
翻訳なら、羊博士が出てくる心配はない(浅はか)
そして、訳者がこれほどまでに思い入れの強い作品なら、必ず文体の中に
「村上春樹」が顔を出すに違いない!
という、かなり阿漕な考えから手に取ったのでしたw

ですので、『グレート・ギャツビー』という作品自体を深く掘り下げるような読み方はしていません。
村上春樹の匂いを探るように、あせらずゆっくりと読みました。

まず、手にとってこの微妙な手触り(?)の微妙なサイズの本を玩ぶように開きました。
計算されたような余白にも期待が膨らみます。
集中して読んでいるとその世界に沈み込んでいけるような、
しかしただぼんやりと字面を追ってしまうとぷいっと逃げられてしまうような、
村上春樹ならではの文体で物語は綴られていきます。

村上春樹の作品は、場面展開や、物語のテーマや、作者の語らんとしていることはつかみきれないのですが、文章表現は好きなんですよ。
さらりとして、難しい言葉を使わない。
それでいて、雰囲気があって、度々はっとさせられるような魅力的な表現がある。
お菓子に例えるなら、かっぱえびせん?
いつ、どんなところで口にしても、
「あっ、かっぱえびせんだ」って分かるでしょw
なんとか味って新製品が出ても、形や歯ざわりが変わらない。
食べれば、やっぱり かっぱえびせん!って感じだからです。

『グレート・ギャツビー』も口に含んだ瞬間、村上春樹=かっぱえびせん でした。
訳者があとがきで書いているように、登場人物たちはこの本を手に取った人の隣で生きていなければならない。
時代設定は、80年も前のアメリカであるにもかかわらず、私達は訪れたことのないロングアイランドで、確かに美しいサンセットを見、ギャツビー家の享楽的なパーティーに参加した。
この点では、訳者のもくろみは大いに成功していると思います。
 
意外な展開の物語を読み終えた後、どうして村上氏はこの作品にこうまで惹かれ続けているのかと考えてしまいました。
多分、彼は物語の筋だけでなく文章表現を含んだ全体を、音律のように捉えて作品を聴いているのではないかと感じました。
これは、原文を(訳すというレベルではなく)読めないと、分からないことなのでしょう。(私には残りの半生を費やしても無理ですw)
 
こんな読み方をすると、
「ちょっと待ってください。『グレート・ギャツビー』をそんな風に読まないで下さい」
と言われてしまうくらい不届き千万な使い方をしましたが、
村上春樹文学が私に歩み寄りを見せ、少しだけ馴染んできました。
いけるかも!!
羊博士シリーズか、『海辺のカフカ』か。
もう一度読んでみよう!
 
最後に。
「『グレート・ギャツビー』って読みましたけど、そんなにすごい作品なんですか?」
私にとっては、彼が訳したものであれ、そうでないものであれ、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』=『ライ麦畑でつかまえて』のほうが断然魅力的な作品でした。
怒られちゃいそうですねww

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『地下鉄(メトロ)に乗って』 -浅田次郎 [小説]

地下鉄(メトロ)に乗って

地下鉄(メトロ)に乗って

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/12
  • メディア: 文庫


(あらすじ)
二十五年ぶりの同窓会に出席した小沼真次は事故で来ない地下鉄をあきらめ、永田町の階段を上った。
そこは、30年前兄が自らの命を絶ったその日の町だった。
真次にとって兄の死が始まりだった。
戦後一代で財をなした父、家族を顧みない父、兄の死すら悼まない父。
真次は家を捨て、父も捨てた。

真次は、地下鉄に乗り、降り。
戦後の闇市で、出兵前の地下鉄で、激戦の満州で真次はアムールと名乗る青年の軌跡をたどる。
アムール、本名小沼佐吉。父であった。


久々に読んだ骨太小説ですw

いっそ清々しいまでの「漢」な文体。
最近いかに自分が女流作家の本ばかり読んでいたか思い知らされる痛恨の一撃でした。
いいですね。
読んでいて気持ちがよかったです。
どちらかというと、たおやかな丸みのある文章が好きなのですが、たまにこういう小説と出会うと背筋が伸びるっていうか、居ずまいを正すっていうか。
活性化されました。

浅田次郎はもちろん名前は知っている作家でした。
『鉄道屋(ぽっぽや)』ですよね。
あの有名な小説の装丁を見たら、読んだような気がします。
読んだ気になっただけかな?買った覚えがあるんだけどな・・・・。
ま、なんにせよ自分の中には残らなかった作品なんでしょうね。

少し前に新聞の新刊広告欄に見た、『中原の虹』という表題が気になって、浅田次郎の本を読んでみたくなりました。
『蒼穹の昴』はずいぶん人に薦められていましたので、まずこちらから。
この本は、その時ついでに買った一冊ですw

さて、『地下鉄に乗って』ですが、「メトロ」とフランス語をあてるとロマンチックな感じがしました。
先入観は、恋愛小説w(間違ってます)
読み出して、冴えないおぢさんの主人公真次が地下鉄の出口からでると、そこは東京オリンピックに沸く東京でした~
で、SF小説?(微妙に間違ってます)
どろどろではなく、きびきび(?)と明かされていく人間模様に、最後は「漢」小説!(しっくり)です。

真次の家は戦後の混乱期にのし上がった、成り上がり財閥です。
兄はとても聡明で人望もあったのですが、父と折り合いが悪く、18歳の大学受験を控えたある日、地下鉄に飛び込んで自殺してしまいました。
真次は我が子の死も悼まない父を嫌い家を飛び出し、新聞配達所で知り合った岡村が作った零細下着メーカーで働いています。
父の元を飛び出してきた母を引き取り、妻はスーパーでパートをしながら生活を助けています。
「小沼産業」は、ただ一人家に残った弟の圭三が継ぐことになっていて、真次たちは、小沼家や会社とは関わり合わないように生きてきました。

世が世ならば、王子様・・・的設定ですが、そんな甘いもんじゃないんですよね。
おぢさんは、くたびれてるし。
生活臭はただよってるし。
愛人は作ってるし。
なんか・・・石蹴ったらあたるくらいどこにでもいるおぢさんです。

真次にとって、夭折した兄はどこまでもしこりになって残っている重い塊でした。
兄が死ななければ、真次が家を見限ることもなく会社を継いでいたのは自分だったかもしれない。
夕暮れに父と言い合いになり飛び出していったぎり帰ってこなかった兄。
なぜ兄は死を選ばなければならなかったのか。
あの日の兄に何があったのか。
この小説のキーになっているのは、「兄の死」です。

地下鉄の駅を上がると、それは「兄が死んだ日」の駅でした。
兄を止められるのではないかと、真次は兄を追いかけます。
だが、どうやっても止めることはできませんでした。
そして、それから父の人生を追いかけるようにタイムスリップは続きます。

なぜ、今更父の半生を追体験しなければいけなかったのか。
父が具合を悪くして死に掛かっているから?
愛人のみち子との関係を解消しなければいけないから?
色々な読み取り方はあると思いますが、私はやはり「兄の死」の呪縛を解きたかったのでないかと思うのです。
「兄の死」「父の人生」「みち子との関係」3つのパーツが繋がるようでいて、残念ながら、上手くつなげられていません。
まぁ、人生における因果関係も、小説における因果関係も、これがこうだったからこうなったって方程式を解くみたいにはっきりと割り切れるものじゃありませんからw

最終的に、真次は真実以外のなにも手にいれることができませんでした。
兄をとりもどして父を和解することも、圭三の懇願を受け入れて、会社役員になることも。
そして、みち子を失います。
母から、弟から、周りの皆からそっくりだと言われる父と「同じように」生きていくと言って物語は閉じています。
はぁ・・・「漢」ですw

地下鉄という空間を移動する道具に、時間軸を乗せるという物語構成には感嘆いたしました。
そうなんです。
気がつかなかったけど、車両に乗れば場所を移動することができますけど、駅やレールは、ずっと同じ場所にあってけして動かない。
そこには、開通時からの積み重なる「時」が存在する。
「メトロ」に乗ることで、その両方を移動することができる。
なんて発想なんでしょう。
感服いたしました。

蛇足:もし、「メトロ」の乗ることができたら・・・・。と考え、戻りたい過去も、知りたい事実もない自分は寂しい人間かな?と思いました。
や、平穏無事が一番ですねw
みなさんには「メトロ」に乗ってどこに行きたいですか?


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『アルスラーン戦記』 12巻 暗黒神殿 - 田中芳樹 [小説]

暗黒神殿 アルスラーン戦記12

暗黒神殿 アルスラーン戦記12

  • 作者: 田中 芳樹
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/12/07
  • メディア: 新書


み・・・皆殺しかよ orz
またしても皆殺し予感満載ですか?
前回、次の巻の発刊への期待と不安をあおりながらもわずか1年余でいともスルっと新刊が出たアルスラーン戦記12巻。
アルスラーン戦記は通勤途中に細切れで読むものではありませんね。
例えば、金曜の夜なんかに、夜更かし覚悟で一気読み・・・・が、適しているんですよ。
あくまでも「私には」なんですけどww
電車のアナウンスに邪魔され、読んでるつもりでも目で追っていただけでアタマに入っておらず、
(あれれ??キーヴいつ沸いて出た??)
ってことになってました。
慌てて戻ったりして。
ちょっともったいないことした1冊でした。


いい場面(ところ)で終わった前巻。
ペシャワール城に大挙して押し寄せた蛇王ザッハークの魔軍。
ペシャワール城での死闘から始まります。
ペシャワール城にこの時詰めていたのは、片目のクバードを筆頭に、メルレイン・トゥース・イスファーン・ジャスワント。
戦の準備もなかったところに、空から襲撃パスル軍は分断を余儀なくされます。

個々人は卓越した戦闘能力を持つパルス軍のお歴々も苦戦を強いられます。
東の守りの要であるペシャワールに万騎馬長のクバートが指揮をとっているのは分かります。
ちょっと意外だったのは、ジャスワントがアルスラーンの身辺から離れここにいたことです。
ジャスワントは、パルス国に使えているのではなく、アルスラーン個人に忠誠を誓っているイメージがあったからです。
元々はシンドゥーラ人だった彼の特権でもあると思っていましたが、即位4年(?)ですっかり組織に組み込まれておりました。
「人は運命には逆らえませんから」ですかw (←分かる人にしかわからないネタで申し訳ない)

しかしこの戦い。
いくら個が優れているとはいえども、もろに「各個撃破」になっとりますがな。
魔軍側の将が、ヤン・ウェンリーだったら分断された時点で負けですねw
言ってたこととちゃうやん!って、物語ちゃうやん!って、作者同じやん!!
と、イスファーンが一生懸命戦ってる時にぐるぐるしてしまいました。
「援軍はピンチのときに沸いて出る」
辛くも魔軍を追い払えたパルス軍でしたが、王都エクバターナへの報告と指示を仰がなければなりません。
・・・・・でてくるのか?アルスラーンと愉快な両翼。
と、思いきや場面は我らが愛すべき悪者(悪あがきともいう)ヒスメルへと移りました。

ところで、前回出揃った銀の腕輪の女性3人。
1年の間に誰がどこにいて、どこへ向かおうとしているのかすっかり忘れてしまっていました。(歳か?)
読んでいる間に再確認しつつ・・・。

レイラは前王妃の元に到着しておりました。ザッハーク側に付かされている様子です。
初めはタハミーネがレイラを側において不振に思ったキーヴが、
そしてイスファーンはそのキーヴの動向に引き寄せられるようにタハミーネの住まう「プラタナスの園」へ向う。
タハミーネは腕輪のことを以前から知っていて、恐らく実子を探す手がかりはこれしかないだろうと思っていました。
腕輪からレイラを実子だと信じて(信じたい)庇いますが、まさか3つもあるとは思ってないでしょうから
同じ腕輪が次々の登場したらどうするんでしょうかね。
もう一人の腕輪の持ち主パリザードはエステルとともにエクバターナを目指しているわけですが、まだアルスラーンとの再会を果たしておりません。
レイラの情報(腕輪も含む)は、黒軍師ナルサスにも伝えられているので、今後腕輪はナルサスに利用されるのです。(確定)

タハミーネのもとへイスファーンを案内した少女アイーシャ。
「よく転ぶ」「金銭面でしっかりしている(守銭奴ともいう)」
なんかいいですね、この娘w かわいいです。
えっ?イスファーンの嫁決定ですか??

さて、そろそろ冒頭の「皆殺し」発言の箇所に触れていきたいと思います。
4年間平安を維持していきたアルスラーンのパルス。王都エクバターナでは地下を中心にザッハークの部下たちが不穏な動きを始めました。
王都決戦も近いやもしれません。

そんな中。一室でお茶しているアルスラーンとナルサス・エラム。
余談ですが、私は『アルスラーン戦記』という作品を絵で想像したとき、激しい戦場シーンでも、エクバターナの王宮やペシャワール城でもなく、
ましてや、ナルサスが絵を描いている後ろ姿でもなく、アルスラーンを中心にナルサス・ダリューン・エラムのメンバーがお茶している場面なんです。
正確に数えたことはないのですが、まず間違いなく戦闘シーンの方が多いはずです。
ですが、キャラクターの心理描写やストーリーのキーになる重要な場面。
この方々、なんか飲み食いしてるんですよw どうでしょうか?
きっと印象に残るんでしょうね。 おかげで、アルスラーン・ナルサス・ダリューン・エラムが集まればお茶してるんだろ?的刷り込みが完了したわけです。
話しがそれました。
不穏な空気が日に日に濃くなるのに、エラムが言います。宝剣ルクナバードが再び敵に狙われるのではないか?と。
それに答えたアルスラーンのセリフからこの部分を抜粋してみます。

  「ルクナバードは私を守り、私はルクナバードを守る。さしあたって、それで充分だ」
   アルスラーンは紅茶を口にふくみ、香気を愉しむようにゆっくり飲み込んだ。
  「歴代のパルス国王は、英雄王カイ・ホスローの魂を伝える宝剣ルクナバードの道具にすぎな
  いともいわれているが・・・・」
   考えながら言葉をさがすようすだ。
  「私はパルスの民衆の道具だと思っている。民衆と私とは、ルクナバードによってつながって
  いる。ゆえにこそルクナバードは
   パスル国にとって聖なる宝物なのだ、と」
          (カッパノベルズ『アルスラーン戦記』12巻P177より抜粋)

そしてアルスラーンが立ち去った後、ナルサスは悪い予感に震えます。
あのナルサスが、です。
彼が感じた悪い予感とは何なのか、これからアルスラーンの身になにが起きるのか?
ここで言及することはいたしません。私には私の、皆さんには皆さんの予想があるでしょうし、それは追って明らかにされるでしょうから、
今何を書いたといしても予想の範疇を超えられないからです。
ただ、ナルサスはこの時点で、自分やダリューンの死を確信したと思えたからです。
だからこそ、「約束してくれ・・・いや誓って欲しい」と若いエラムにアルスラーンを託することしかできなかったのではないでしょうか。

大陸公路に並ぶものなしといわれる雄将ダリューンと、その智略は一国の軍にも匹敵する智将ナルサスが倒れるとなれば、
いわいるアルスラーンの16翼将も無傷ですむとは思えません。
殺さずには終われませんか・・・田中センセー orz

即位4年で、儒学者のようなセリフを吐くようになったアルスラーン陛下、戦わないとお茶目度を増すダリューン、最近クロさ控えめで少し物足りないナルサス
を筆頭に、終幕へ向けて怒涛の展開に、楽しみ半分、終わってしまう寂しさ半分。
愛すべきキャラクターたちをなにとぞ殺さないで下さいと、願う私を震撼させたのは、ブックカバーをかけていたため読み終わるまで気がつかなかった、表紙裏の折り返しに書かれてた作者の言葉。
 
作者をふくめて誰も想像しなかったことですが、昨年につづいて今年も新刊が出てしまいました。(やればできるやん)
この分だと、来年も出てしまいそうです。(そーかそーかとうとうやる気になったな!)
まずいな。(!!!!!)

私たち読者が何よりも恐れているのは、2冊頑張った後「冬眠」に入ることです。
ここは何とぞ、何とぞ・・・・終焉まで一気に・・・伏してお願い申し上げます。


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『つきのふね』 -森絵都 [小説]

つきのふね

つきのふね

  • 作者: 森 絵都
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2005/11/25
  • メディア: 文庫

(あらすじ)
中学2年の7月19日 梨利とさくらにとって最悪の一日となった。
抜けたいが、抜けられない万引きグループにいた二人が最後の仕事と決めて
入ったタツミマートで初めて捕まったのだ。
たとえ捕まって仲間は売らないと決めていた約束を破って、梨利に助けを求めたさくら。
唯一の親友の手を振り払って逃げた梨利。
さくらを逃がしてくれたタツミマートの店員、智さんの部屋はさくらの唯一の逃げ場となる。
柔らかい心地のいい場所と時間を提供してくれる智さんは、熱心に宇宙船の設計図を書き、人類を救う船を設計するのだという。
さくらと梨利の仲たがいを取り持とうとした勝田くんも智さんの不思議な部屋へ入り浸るようになる。
智さんが壊れ始めた。少しずつ。
梨利は売春斡旋容疑で警察の取調べを受ける。
バラバラに崩れ始める4人を再び結びつけるため、1998年最後の満月の夜に「つきのふね」は現れるのか?

さくらと梨利は、決してほめられた子供でなありません。
グループに誘われる前から、万引きしたりしてました。
あの日、決定的に二人を分けた1998年7月19日。
誘われるままになんとなく始めた組織だっての万引き。
こんなことをしていてはダメだって分かっているのに、抜けられない理由は学校での居場所がなくなるかもしれないということでした。

元締めをやっている男の子に、グループの中心の同級生が「ハマっ」ちゃったから。
それでも、二人の間ではいつかブレーキを踏まなきゃという気持ちはどこかにあった。
それを先にさくらが踏んで、梨利に言います。
「二人だったら怖くない」
と、グループを抜けることを宣言。
そして、最後に盗みに入ったスーパーでさくらは捕まったのでした。
万引きグループにも「もし捕まっても仲間を売ったりしない」という暗黙の了解のようなものがあって、それが唯一仲間の証みたいなものでした。
さくらは、タツミマートの店長に捕まったとき半ばパニックになってその約束を守れず梨利の名前を呼んで手を掴んでしまう。
掟をやぶってしまった自分を梨利は決して許さないだろうとそれ以降梨利から離れてしまいます。

逃げた梨利も、助けを求めている親友の手を振り切って逃げた自分が許せず、さくらはきっと自分のことは見捨ててしまうだろうとやはり離れてしまいます。
捕まったさくらは、名前や学校名など頑として黙秘を通しそして智さんに逃がしてもらいます。
引き寄せられるようについていった智さんの家に、さくらは居場所を見つけるのです。
そこは暖かく、居心地のいい空気の場所でした。


まだほんの子供だった頃、安心できる居心地のいい場所っていうのは確かにあったように思います。
それは、毎日自転車でただ回っているだけの同じコースであったり、
子供好きの近所の家だったり、いつも遊んでいる公園の滑り台の上だったり。
でも、中学になるととたんに全てが居心地の悪い場所になってしまうんですよね。

学校も、家も。友達と一緒に遊んでいるときでさえ・・・。
それが、思春期というもののせいなのか、はたまた反抗期だからなのか・・・
居心地のいい場所なんか探したって見つからない気がするんです。
なんか、そう思うと大人になってもずっと子供の頃のような「居心地のいい場所」を探してお父さんがたはお酒を飲みにいったりするのかもしれませんね。
そんなところでは見つからないの知ってるくせにねw
あぁ、唯一布団の中だけは居心地のいい場所かもしれませんw

智さんの家はさくらが見つけた「居心地のいい場所」でした。
静かに時間が過ぎるセピア色の部屋。
智さんがいれてくれるおいしいミルクコーヒー。
そのうちに、さくらの存在を忘れたように「仕事」をする智さんさえも、さくらを傷つけるものは何一つなかった。
そんな大切な空間に入り込んだ勝田くんに、初めは激しい怒りを感じるさくらでしたが、やがて智さんが精神のバランスを崩し自傷するに至って勝田くんと一緒になんとかしなければと奔走するのです。
さくらが物語が始まる前から求め続けていたもの。
それが、自分の居場所=安心できる場所だったのだと思います。
梨利や勝田くんと一緒にいるときは、それがさくらの居場所だった。
だが、それが壊れてしまって偶然見つけた智さんという居場所。
それは、勝田くんにも智さんにもいえることで、梨利も含めて全員が自分の居場所を探しています。
本当に求めたのは三人が、嫌、四人が互いに居心地よくすごせる「場所」だったのではないでしょうか。
そんなものは本当にあるのか?
あるのかもしれないし、ないかもしれない。
きっと人はいつも、どんな時も自分の立ち位置や、安息の場をもとめているんだな・・・。
表題の『つきのふね』には安息の地であるように思えたのでした。

森さんの作品は、中学生を主人公にしたものが多いです。
現在は文庫化されたものも多数ありますが、児童文学を中心に活動されてきた作家です。
確かに、小中学生向けに書かれたものでありながら、主人公達は、けっして生き生きとしていませんw
むしろ、どんよりと、重く、ただ流されながら、少しだけ自分というものに向かい合う。
何かに立ち向かったり、劇的な成長を遂げたりというようなことはありません。
それが、逆に生々しくあるので、子供よりむしろ私たち大人の共感を呼ぶのかもしれません。
そういう意味では森作品には夢も希望もありません。
あるのは、ただ等身大の今そのもの。
敢えて、それを見せ付けられることで、大人は自分が中学だった頃を思い出すのではなく、現在の自分と重ねあわせることができるのかもしれません。
大人には、今の子供たちの痛みが理解できたような気持ちになる作品。
子供たちには大人が子供の振りをして書いた胡散臭い作品・・・
なのかもしれませんww

かくいう私は「胡散臭い大人」なので、素直に賞賛派にたって読みましたが、読み直し読み直ししながらブログの記事を書いていると、
誰に向けて何を伝えたくて書いたのかな?
子供たちへ向けての作品なのか??と、考え初めて泥沼にはまってしまいました。
そして、小学生・中学生の方々はこの作品を読んでどんな感想を持ったのかが知りたくなりました。
大人は本当に子供の気持ちに寄り添えるんだろうか?
昔自分にも同じ時代が確かにあったはずなのに。・・・ね。


蛇足:何冊も立て続けに森さんの作品を読みましたが、ブログの記事にしようと思えば思うほどできませんでした。(昨年の10月からこの記事を書いたり消したりすること3回)
なら、書くの辞めればいいのに・・。
なんか、意地になっちゃってこれ書き上げないと先に進めないような気がして。
そーゆーところ、変に頑固ですねw
(時間かけたのに、何の意味もないような記事になってしまいました・・・orz)

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『No.6 #5』 - あさのあつこ [小説]

NO.6(#5)

NO.6(#5)

  • 作者: あさの あつこ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/09/12
  • メディア: 単行本


(あらすじ)
さふを救うべく、矯正施設に侵入を果たしたねずみと紫苑。
だが、そこは地獄だった。
「人狩り」で狩られてきた人々が折り重なり、死んでいくなかでねずみと紫苑の過酷な逃走が始まった。
果たしてここから生きて逃げることができるのだろうか?
No.6の住民たちも、そして西ブロックのイヌカシたちも気づきはじめた。
No.6が内側から崩壊はじめている。と


あれ?
気が付いたら、またあさのあつこさんの本ばっかり記事書いてる?
自分的には、森絵都の本ばっかり読んでたはずなのに??ww

今回はすんなりと手に入ったNo.6 #5
お待たされましたw
思えば、1年前・・・・。
ストーリーの行方を心配したNo.6も加速度をつけて方向転換始めています。

えっと・・・・これって、どんな話なんだっけ?
あぁ、そういえば首から出てくる人食い蜂の話だっ!
・・・・間違ってないですよね?

今回は、蜂の「ハ」の字もでてきていません。
作者様?・・・最初の目的忘れていませんか??

さてさて、人狩りにわざと捕らえられて矯正施設に侵入するんですよね。
ねずみと、紫苑。
紫苑、いきなり違う人格になっています。
ストーリー上ではそんなに時間は経っていないはずなのに、まるっきり別人です。
これって、どんな話だっけ?
キャラの性格が違うから、何回も前の話を思い出さないとストーリーに入れないんですよ。

矯正施設は悲惨な場所でした。
つーか、殺すためだけの人狩りなのか?
また、人体実験かなんかに使うから、狩ってくるのかと想像してましたが。
高いとこから落として殺すなり重症を負わすなりして、その上からまた人を落とす。
そうして、だんだんに人の層を積み上げて圧死させる。
意味もなく殺すのは、ナチスのそれですね。
本文中にも引用さてれいますが。
でも・・・何のために??
悲惨な状況描写はあるものの、行われる意味は全く触れられていません。

そして、その悲惨な状況に置かれた紫苑とねずみは・・・。
ひたすら出口を探します。

この巻にきて、「ねずみ」が「紫苑」に怯えている。
というのは、イヌカシですら気が付いている、事実として語られています。

えぇ~~!!そうなのかぁ???

ちょっと待ってよ~。
と、どうしても4巻でその部分に納得がいかなかった読者約1名は、それがあたりまえにふつーに進まれるのに激しく違和感を感じずにはいられませんでしたがね。

#4 でも言いましたが、もう一度。
いや、何度でも言わせていただきましょう。
小説って、ストーリーしかり。キャラクターしかり。
ある程度、全体像をつかんでから書き始めるんだと思うんですよ。
その作品の雰囲気とか、設定とかですかね。
もちろん、途中のエピソードから書き始めるにしても、やっぱり頭の中でおおざっぱなストーリーや着地点はきまってるんだと思います。

シリーズものだと、脱線したり迷走したりw
それはありだと思いますが、今回#5を読み始めて、愕然としましたわな。
キャラかわっとるやろ~~
紫苑とネズミ。
アレ、#4の登場人物と同一かぁ?

紫苑は天然キャラなんですが、めずらしくお気に入りだったんです。
ネズミはストライクゾーンにはいってますね。
そんな二人のちょっと 「うふふ」 なとこも結構好きだったんですけどね・・・orz

この変わりようは、どう贔屓目に見ても、最初から計算して変わったきたと思えないんですよ。
ひどく言うと、
「前に書いてたの忘れちゃった?」

作者には書きたいテーマがあるでしょう。
それはきっと・・・
評論家が言うほどご大そうなもんじゃないんですよ。
こーゆーシーンを書きたかったとか、キャラとキャラのこーゆー絡みが書きたかったとか。
読書感想文に書いたら喜ばれるような、生きるとはっ。友情とはっ。
なんて、重々しく計算して書いてたら伝わるものも伝わらない。たぶんねw
そういう作品が発してくるテーマは読み手が勝手に作り上げるんだと思います。

ただ、最低でもシリーズもので、作者の中で書きたいシーンが加わってきたからって、設定はいじっちゃいけないと思いませんか?
新しく書きたい場面やテーマが生まれたなら書けばいいよ。書けば。
迷走しなよ。
でも。
作者には最初に伏線はった着地点まで読者を導く責任があると思うんですよね。
ま、途中で投げ出しちゃう作家はいくらでもいますけどww

自分の中で、#5からは、お話は続いているけど、別の人の話になっちゃいました。
残念ですが。
どうしても、最初から紫苑をクロに持っていこうと計画して#2や#3を書いていたと思えない。
#4で、書きたいテーマが加わって、作者権限で無理やり曲げられたって感がぬぐえないんですよ・・・(涙)

曲げるなら曲げるで、もっと上手く誘導しろよぉ~~
ってゆーか。
キャラは物語の中で生きてるんだから、殺してくれるなよぉぉぉ。

私の好きだった紫苑はもういません。
返してほしいです・・・。
私の好きだったネズミはちょっと残ってますが、ほどんど意識の下部に押し込められてしましました。
開放してあげてください・・・。


自らの重みで内側から崩壊し始めるNO.6(このテーマは今も生きてます)
そこに立ち向かおうとした少年たち(役者は交代になりました)
壊すものと、再生するもの。(今再生するものは不在です)
NO.6が崩壊するが早いか、物語が瓦解するのが早いか。
微妙な勝負になりそうです。


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