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『空色勾玉』 -荻原規子 [小説]

空色勾玉

空色勾玉

  • 作者: 荻原 規子
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2005/09/21
  • メディア: 新書


(あらすじ)
妻問いの祭、嬥歌(かがい)の夜。狭也は自分が闇の一族の巫女だと知る。
闇の巫女、水の乙女は大蛇(おろち)の剣の鎮める唯一の存在だ。
乞われるがまま、輝の宮で月代王(つきしろのおおきみ)の采女(うぬめ)になる。
まほろばの宮で狭也は剣に導かれ、大蛇の剣を祭る稚羽矢(ちはや)と出会う。


勾玉三部作シリーズの第1作目だそうです。
なんと、これがデビュー作?!
ものすごくマニアックなものをデビュー作にもってきたもんだと驚きました。

物語は、二柱の神が天と地を二つに分けられた頃。
豊葦原は、輝(かぐ)の御子、照日王(てるひのおおきみ)と月代王(つきしろのおおきみ)という双子の神が治めていた。

・・・・と、いうと。
ははぁ~ん。
分かる人にはすぐ分かりますね。
そうです。
この物語は、古事記をファンタジーにしたて直したものです。
イザナキが亡くなったイザナミを追って黄泉の国に下り、変わり果てた姿に恐れをなして逃げ帰る。
黄泉の穢れを祓うために禊を行った左の目から生まれたのがアマテラス。
右の目から生まれたのがツクヨミです。

狭也は、輝(かぐ)の村に拾われ育ちました。輝の軍勢です
嬥歌の夜に、祭りの楽団としてやってきた闇(くら)の一族から、自分は闇の姫巫女なのだと聞かされます。
輝にも闇にも手に負えない大蛇(オロチ)を剣に封じ、その剣を鎮めるこのとできる唯一の存在、水の乙女なのだと。
現在、剣は輝側にあり、水の乙女は闇側から出る。
だが、どの水の乙女闇側でありながら、輝の光に憧れ滅びてきました。

輝の軍は光。
つまりイザナキ側です。
闇の軍は闇、ひいては黄泉。
つまりイザナミ側です。
長い間、両陣営は戦をしていました。
輝の御子は、死ぬことがありません。(御子以外は死にます)
闇の一族は、死んで再び生まれ変わる。
つまり、両者とも「死」はないのです。

・・・というのが、この勾玉の世界観です。


と、ここでお断りを。
私自身、数ある日本文学作品の中で、『古事記』が一等好きです。
あのはちゃめちゃで、何でもアリの世界に激しくココロ惹かれるわけです。

古代史にロマンは感じませんが、これを国の歴史だと言い切る懐の深さには
感動すら覚えます。

『古事記』をファンタジーといわず、何をファンタジーという!!w

ですので、残念ながらこの作品を単に古代日本を舞台にしたファンタジー作品として読むことはできませんでした。
そうするには、手垢で汚れてしまっているのです。
そんな風に、全て『古事記』と対比させて読むなんてちっともこの作品のよさが分かってない!
と、ごもっともな意見もあるかと思いますが、出来ませんでしたので御寛恕ください。

さて、余談はこれくらいにして世界に戻ることにしましょう。
闇の手を拒否した狭也の前に現れたのは、月光のごとき美しい御子でした。
月代王。
それは、狭也が憧れ、夢にみた輝くばかりの輝の御子でした。
月代王は、狭也を豊葦原の中心地、まほろばの宮で自分の采女になれと唆します。
輝側は、水の乙女の存在も、そればかりか狭也が先の水の乙女狭由良姫の生まれ変わりであることも承知していました。

水の乙女とは何なのか。
狭由良姫とは一体誰なのか。
自分は何のためにここにいるのかも分からず、ただ月代王にあこがれるまま宮で過ごすのですが、大蛇の剣を盗みに入った闇の一族、鳥彦が大晦の祓のため、形代に捕らわれてしまいます。
儀式が始まれば、鳥彦は生きながら焼かれてしまう。
捕らえられた鳥彦を助けるべく、照日王の宮へ忍び込んだ狭也は、厳重に守られた神殿の中で一人の巫女と出会います。

剣を守る巫女。
それは、狭也が幼い頃から繰り返し見た夢の巫女でした。
巫女は、綱で繋がれたまま大蛇の剣を守っていました。
巫女の名は、稚羽矢(ちはや)。
美しい、気品に満ちた少女でした。

・・・・って。
これは・・・もしや・・・
スサノオですかぃ!!!
びっくりして腰が抜けそうになりましたよ。
タケハヤスサノオノミコト。
三貴子の末の弟です。

スサノオといえば、ぼさぼさの髭。母であるイザナミの国へ行くのだと駄々をこねて泣き、
姉のアマテラスが治める高天の原では大暴れ。
オロチ退治の話は有名ですが、その後クシナダヒメを得て地上にとどまってなお、大国主がスサノオの娘、スセリビメを嫁に欲しいとやってくると、昔の腕白小僧よろしく大暴れに暴れ、何度もむごいやり方で大国主を殺そうとします。
粗野でわがまま、残忍なごっついおっさんのイメージが強かったスサノオが・・・
少女と見まごうばかりの美少年ですかぁ!!!
これにはのけぞるほど驚きました。
こんなスサノオ・・・は、初めて見たよ。

狭也は稚羽矢と剣を解き放った。
今度は、月代王に、輝に敵対するものとして稚羽矢を連れて闇の氏族との合流を果たします。
自由になった稚羽矢。

・・・・・これが、かぁいいんですよ。
バンビっぽくて。
輝の御子には、人間界の常識なんてありません。
神様なんですから。
狭也が誤解から稚羽矢を傷つけてしまったと、行方不明の稚羽矢を探します。

「なぜ探しにきた」
「謝ろうと思って」と、狭也
「あやまるって、何をすることだ」稚羽矢は不思議そうに問い返します。
「とても悪いことをしたと思っている しなければどんなに良かったか思っていると相手に言うことがあやまることよ。そして、この気持ちに免じて、罰せずに、怒りをといてほしいと頼むこと・・・」

自分は神とも豊葦原の人々とも相容れない異形だと稚羽矢はうつむいて言います。

「あやまるのだったら、怒ったり罰したいと思っている者のところに行けばいい。だれかは知らないが、それはわたしじゃない。誰がいったい、狭也のことをそんな風におもっているんだ?」

かわいすぎです。
「もぉ♪」くちゃくちゃってしたくなりませんか?ww


大蛇の剣を使い戦ううちに、稚羽矢は剣を祀るものではなく、剣の中の大蛇を取り込んで同化します。
水の乙女は剣の大蛇を鎮めるものではなく、稚羽矢の閉ざされた関を開き、押し流し、導くものだったのです。
最終決戦で、照日王に捕らえられ、手にかけられてしまった狭也を稚羽矢は水の乙女の勾玉を飲み込んで黄泉の国まで追いかけてきます。
結ばれた絆は決して解けることはなく、狭也を取り戻した稚羽矢は降臨した父神に願い出ます。

「わたしは、死を賜りたいと思います。できることならば、豊葦原の人々と同じように生き、同じように年老い、死んで女神のもとで憩うことのお許しを」
強く、美しく、そして誰より愛らしい稚羽矢。
輝の御子が去った豊葦原を稚羽矢と狭也の二人が治め、新しいに王になれと沸き立つ人々。
稚羽矢は笑いながら聞く。
「ところで、はじめて聞くが、祝言とは何のことだろう」
この稚羽矢のセリフで物語りは幕を閉じましたww


きらびやかで絢爛豪華な王朝絵巻も嫌いではありません。
ですが、この素朴で暖かい古事記の世界観に懐かしさと愛おしさで胸がいっぱいになります。
(もちろん、稚羽矢が可愛かったのもありますがw)
自分はこの世界に生きていたのではないかと既視感を覚えるのです。

古代、人は闇を恐れてはいなかった。
現代の私たちもキャンドルの火をみていると、なんとなく落ち着きます。

ふと思うのです。
私は光ではなく、揺れる炎に柔らかく押し返されるやさしい闇に癒されている
のではないのかと。

闇はいつもすぐ隣にあり、豊葦原に生きる人々を分け目なく包み込んでいた。
決して抑えつけない柔らかく、甘い闇。

いずれは、黄泉の国で闇の女神に憩うことを許された豊葦原の氏族に生まれてよかった。
そう思える一作です。

(蛇足) 私が『古事記』に最初に惹かれた理由は、ツクヨミノミコトの存在でした。冒頭ともいえる三貴子誕生のわずか数行にしか登場しないこの神のことを、何故私たち日本人は忘れず敬っているんだろう。月読と書けば今でもツクヨミと読ませます。
ずっと想像していた神を想像どおりにとても美しく甦らせてくれた作者に感謝を!


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